例年豪雨による被災が日本中でたびたび起こっているように感じています。
今年はコロナ発生から、悪天候による天災や災害が多発し胸を痛めることが続いております。
厳しい状況が続く中ですが、どうかご自愛下さい。
皆様の無事と健康をお祈り申し上げます。
福屋 よしみ
例年豪雨による被災が日本中でたびたび起こっているように感じています。
今年はコロナ発生から、悪天候による天災や災害が多発し胸を痛めることが続いております。
厳しい状況が続く中ですが、どうかご自愛下さい。
皆様の無事と健康をお祈り申し上げます。
福屋 よしみ
https://wordpress.com/block-editor/post/yoshimi-kobe.com/371
以前のblog記事でもご紹介させて頂いた、怒りの人間が出来上がってしまうことによる弊害が“世代間連鎖”です。
「親から子へに受け継がれる」という言葉がありますが、怒りを撒き散らされながら日常生活を過ごす人はどうなってしまうのかとてもわかりやすい画像を御覧くださいませ。

怒りを受け続けて育ってしまうと、どこかまでは怒りという感情を抑制しようとします
それは怒りを持った人に対しての嫌悪感などから「僕(私)はこのような理不尽を振りかざす人にはならない」と誰もがそう思って反発するからです。
しかし、世代間連鎖とは親から子へと良い部分も悪い部分も受け継いでいきます。
何故なら子は親を見て育ち、どんな環境であれそれが普通または常識または当たり前として触れてしまうからです。
さえさん 58歳、
栃木在住 自営業 夫婦2人暮らし。
主人は小規模ながら会社を営んでいましたが、収益が上がらないため
私が別な場所で働いて得る収入を生活費に充てて暮らすという日々が結婚当初から続いておりました。
そんな状況でのんきにかまえている主人を横目に、私ばかりが生活や将来のこと
また収益の上がらない主人の会社に心を砕いている日々の中で
「自分は単なるお手伝いさんでしかないのか?」という不満が鬱積し
もうこんな生活にけりをつけ実家に戻ろうかと思ったことが山程ありました。
ある日、主人の様子にどこか違和感を覚え、意を決して主人の携帯を開きました。
そこには、社員の女性と異常なやり取りが綴られていました。
状況が受け容れられなくて、ものすごい吐き気が込み上げ、息をするのもやっとでした。
主人に問いただすと、主人はすぐに謝りました。
そして、言った言葉が「俺は必ず戻るから」
「『戻る』って何? 今までどこに行っていたというわけ!」
自分が長年積み上げてきたものが全て、がらがらと崩壊していくさまを感じていました。
そのことがあってから1ヶ月、職場では辛うじて平静を保っていましたが摂食障害と睡眠障害で10㎏以上体重が激減、心身に限界がきていました。
ある日、仕事からの帰途に
「ああ…、もう嫌だ…、頑張りたくない…、疲れた…」
「このまま道の続く限りずっとずっと車で走り続けていたい」
との思いが噴きだし、大声でわんわん泣きながら車を走らせていました。
このままでは自分が壊れる、いや、もう完全に壊れている…と痛感し、第三者の立場で話を聞いてもらえる人を探そうと、手当たり次第インターネットで検索し〈悩み辞典〉というサイトに行き当たりました。
そこに寄せられるたくさんの相談と回答のなかに自分の求める”コタエ”はないかと、片っ端から目を通しました。
実際に専門家の方に相談の回答をいただきもしましたが“なまぬるさ”しか感じられない。
「私がほしいのはこんな”テンプレート”や”通り一遍のコタエ”ではない!
もっと”タマシイが揺さぶられるようなコタエ”がほしい!」
私の心が悲鳴をあげ続けている中で色々な方とやり取りをし最終的に「この方しかない」と心が定まったのがよしみさんでした。
自分の住む栃木から随分離れているので、「続けられるだろうか」というためらいがあったのですが最初のお電話から、私の心に食い込んでくる“ゆるぎないコトバ”の力強さに圧倒されました。
これこそが私の求めていた”コタエ”でした。
②に続きます。
33歳 広島県 由美子さん
小学校5年生の時、中学受験に向けてフルパワーで勉強をしていました。
ところが当時、父が経営していた会社が倒産し自宅も差し押さえ。
父は母を介して「受験をやめるように」と伝えてきました。
私は母の前で、泣きながら必死で「受験したい!」と頼みました。
結果、私は受験できることになり、希望の中学校に合格しました。

大人になってから母から聞いたのですが、私の受験は家族の希望。
もし私が不合格であれば、一家心中していたかもしれない状態だったとか。
子どもの受験というのは、とてもプレッシャーを感じながら
そのときに欲しかったもの、友達と遊びたかった時間、行きたかった場所
11歳の私はすべて諦めて、受験勉強だけの時間でした。
今から思えば、子供時代の私は、受験戦争という戦争の中にいたのだと思います。
まさか自分が子供のときに「競争・勝つ・負ける」を体験してからは、自分にとっての不都合なものを全て無かったことにして、生きるようになりました。
押さえ込んで、閉まい込んだままの感情は「怖さ、怒り、悲しみ、楽しみ、憧れ、笑う」
そしてどんな感情も感じなくなり、私自身を壊していきました。

インターネットで自分の話を聞いてもらえそうなカウンセラーを探し、よしみさんのブログにたどり着きました。
ほかの人のブログと違って、ぬか床、カレー、お茶づけなど、生活感のあふれるブログだったところに惹かれたんだと思います。
電話でつながって、よしみさんのカウンセリングを受けるようになって、子どもの頃から押さえ込んでいた感情があるのだと知りました。
私は過去の体験から、家族を助けたいと思い続け、私が頑張ることで家族が生き延びることができたと思っていました。

そして家族に起こる問題と、自分の問題の区別がつかなくなっていました。
よしみさんのカウンセリングを受けて、私が分かってきたことは「押さえ込んできた感情は自分の人生に壁を作り、後から様々な同じ問題が出てくる」ことを知りました。
現在、よしみさんのカウンセリング受けて、3年が経ちますが、一番嬉しいのは1年目くらいから健康を取り戻せたこと。
カウンセリングによって、 心の中をスッキリきれいに大掃除することができて、カウンセリングを受ける前のように体調不良に悩まされることがなくなりました。
自分を楽にするということは、本を読んだぐらいではどうにかできるものではないということです。
一人ではどうにもできない時期が来て、私にはカウンセラーが必要でしたので感謝しています。
「頑固親父」という言葉があるように、年齢を重ねると怒りっぽくなるという事例がありりますが、これは年齢と共に温厚になる人とすぐに怒り出す2パターンの説明です。
このキーワードはこれまでの人生で長い時間自分を我慢させていることで心のキャパが無くなり怒りやすくなっているからです。

また、怒るということは精神面ではなく怒りのエネルギーは健康面にも無自覚(無意識)にダメージを与えています。(高血圧やストレスが主に社会で耳にする内容です。)
我慢が怒りへと繋がり、自分の健康と人間関係に大きく影響していることが心理学の現場ではよくあります。
人間は年を重ねると同時に病気などのリスクも高まっていきます、自分自身が若いときから心と身体に我慢をさせていれば、仕事が無くなった反動でする事がなくなり社会から切り離されたような喪失感に悩む人もいます。
自分でも気づいていないワーカーホリック(仕事中毒)な人は「もっとがんばらなきゃ!」と自分を鼓舞し仕事をしている時ぐらいに厳しく周囲に振る舞おうとします。
職場の自分になっているつもりで家庭でも同じことをすると・・・どうなるかわかりますよね。(笑)
仕事から解放されているのに、感覚が麻痺していることにより、自分と他人を厳しく扱ったり、口調が会社で現役のときのような部下を叱るなど切り替えが出来ない。
これは心理的にみると自分を我慢させ続けたことにより心のブレーキが壊れた状態です。
がんばることで我慢させ続けた自分の心が元通りになることがほとんどないと思います。
しかし私の経験から怒りという感情の元には深い悲しみが存在しているため、元となった悲しみを癒してしまえば心がかならず楽になっていきます!
20代の私と現在60代の私が、癒しを経験し変わっていった実体験に基づく癒しの結果です。
今は毎週息子と買い物に行ったり、親と子で適切な距離をキープしお互いに幸せな人生を贈ることが出来ている心理学に感謝しています。
怒りはとても難しい感情ですが、怒りには必ずパターンがあります。
子ども時代、親に怒られないようにするにはどうしたら良いか、皆さん考えたことがあると思います。

怒りの着火点はおおまかに3パターンあります。
■1【静的な怒り】相手の反応に呆然としてしまう、立ち尽くす、言葉を聞いて考え込む
このパターンはその場で怒らず、怒りを溜め込んで我慢します。
その我慢を重ねた結果、近寄ることすら許されないほど関係を精算または断ち切るような対応が例です。
理性的な怒りですが、この深い怒りは癒やされるまでに長い時間を必要とし、怒るまでに猶予時間があります。
■2.【動的な怒り】くやしさ ショック
このパターンはすぐに本能的に怒りを発しています。
理性的ではないように周囲に見えてしまい、瞬間湯沸かし器な的な部分があります。
怒りっぽい人に見られがちですが、状況確認を怠っていたり日常から低姿勢な人に多く見られます。
その分怒りの時間は長くなく、自分と同じく低姿勢な相手にとても寛容です。
■3. 【権威的な怒り】自分が相手よりも上の立場であるかどうかを重視します。
自分が相手より上位にあると錯覚しロール(役割)のように振る舞います。
この怒りは立場や役割を果たすため行っています、怒りの時間も様々ですが条件や状況が収まったと感じれば怒りは消えます。
いわば条件を満たせば鎮火する怒りであることが多いのですが、理不尽な条件の場合もあります。
しかしこれは感情で怒っているのではなく全て条件を満たしていない自分への怒りです。
怒りの根底には深い悲しみがあります、怒りが大きい人ほど悲しみが深いものであることが多いです。

悲しみを癒やすまでその人の根底から怒りが消えることはありません。
しかし怒りもただの感情なので、癒してしまえばとても楽になっていきます。
怒りは根底にある感情によって姿を変えて誰かにぶつけられます。
みじめな自分 → 嫉妬
納得できない → 不平不満
自業自得的な切迫感 → 焦燥感

怒りは牢獄のようなものです、その中に閉じ込めているのも自分自身です
状況を解決する方法を知らなかったばっかりに、自分で自分を苦しめてしまっています。
自分自身を自由に楽にしてあげられる環境は、自分でしかつくっていくことができません。
楽になるためには、感情を整理して”怒りの牢獄”から解放してあげる方法を選択しなければいけません。

私たちは様々な困難な出来事に対して、楽な道を選ぶか、自分が苦しい道を選ぶか。
人生は選択を常に迫られ、困難な状況も自分自身が作り出しているのです。
人はなぜ怒るのか?
その怒りはどこからくるのか?
怒りという感情をひもといていくと様々な背景があることがわかります。
誰かに怒りをぶつける理由の大半は、誰かとケンカや状況を悪くさせようとしているわけではありません。

怒りの感情を大きく分けると3つになります。
「愛してほしい」
「わかってほしい」
「助けてほしい」
この3つは、自立している人ほどこういった言葉を出せずに自分の心の中に封印しています。

歯を食いしばってがんばった先に残るのは、犠牲にしてきた自分自身です。
そこに愛も真実もありません。
以前Blogで我慢の先にあるのは怒りや破滅的な行動(デッドゾーン)のご説明をさせて頂いたことがあります。
怒りとは自分の心に積もった不平不満や文句など、様々な感情が爆発してしまうことです。
怒りは目に見えてわかりやすい感情となり、誰かをときには大きく傷つけてしまいます。
一度起こってしまうと、自分が溜め込んだものが深ければ深いほど自分も状況もコントロールしてしまう事はとても難しく、必要以上の心の傷を生み出してしまったり、自分と相手の関係に大きく影響を及ぼします。

また不平不満や文句だけではなく深い悲しみが怒りへと転じる事もあります。
怒りは様々な感情で自分を抑圧した分だけ、反動のエネルギーは悪い方向へと向かうパワーを持ってしまうのです。
SNS上による誹謗中傷が原因のひとつによって起こった自殺が取り立たされています。
言葉通り「消えて」「死んで」「いなくなれ」のような言葉を自分が真正面から受け取ってしまうと「本当に自分なんかこの世から居なくなった方がいいんだ」と思ってしまうのが人間だと思います。
自分の罪悪感から「自分は何の役にもたたず生きていかない方がいいんだ」という風に
“エゴのささやき”に気づいてしまいます。
そして彼女は行動されてしまった。
私が見た写真の子猫の姿は、彼女の優しさに触れて安心しきっている和やかな画像でした。彼女はまるで怒りの女王のように放送されたようですが、もしかしたら怒りを表に表すようなテレビ的な演出だったのかもしれません。
そして、彼女が一生懸命演じたのかもしれません。
映像を見た人たちはその部分だけを捉え、またはエンターテイメントとしての姿に不快感を感じ、申し出た内容だったのかもしれません。
彼女の生い立ちから見て、お母さんはインドネシア人のお父さんとの間に生まれ、その後離婚しシングルマザーとして一生懸命育てられたそうです。
私自身も離婚、再婚後に夫との死別、シングルマザーの時間が一番長い人生でした。
シングルマザーというのは父親の役も母親の役もこなそうとするため、とても子供にとっては厳しい母親だったと思います。
今、お母さんの気持ちがどんなに複雑なんだろうかと表す言葉も見つかりません。
私の父も自殺によりこの世を旅立ちました。
日常で楽しい時間を過ごしているときに気の知れた人たちと出る冗談やブラックジョークを真正面から受け取る人はほとんどいないと思いますが仕事、日常、人間関係から様々な状況でメンタルバランスが崩れてしまい感情的に脆くなってしまうことがあります。
そういった時に心無い言葉を真正面から受け止めてしまう必要がなくても受け止めてしまう事があります。
真正面から受け止めてしまったときに起こるのは“エゴのささやき”です。
その人が致命的な状況に陥ることを判断できる人は誹謗中傷をすることはありません。
悪意なき言葉により起こってしまった悲しい事件です。
人に怒りをぶつけているとき、そこに“相手への真実の思い”はありません。