37年前の結婚。Part2

昭和の時代にカウンセリングはありません。インターネットもなく、私たちは人と人を介しての井戸端会議的のようなものだけです。メディアは新聞やテレビだけで、リアルタイムな情報は見知った顔ぶれで言葉による情報伝達に限られとても閉鎖的でした。

37年を経た私も姑側と同じような年齢もしくはそれ以上ですが、ひとりの女性として当時の姑を思うと「かわいそう」という気持ちが先立ちます。

結婚式直前で息子と仲違いし自分の夫とも距離があり、とても孤独で心の拠り所がなく寂しかったと思います。

閉鎖的であるということは、苛烈な部分は今と比べ物にならないほど寂しさや怒りといったものは激しかったように感じます。

今はインターネットやスマートフォンで誰とでもかんたんに繋がることが出来てしまいます、体罰など学校内で閉鎖的に行われてきた事が見直されているのも誰かのSOSをすぐにキャッチ出来るようになり、情報の透明化による影響です。

当時はかかって来る電話の中でこんなシーンがありました。

内容は「ご自身の息子のことでの悪口・結婚の不満・駄目だし」

ただそれを私が聞かされる日々。「この電話の内容は息子には言わないでね」とお決まりの文句がセットで付いて来ます。

自分のパートナーのことで悪口ばかり言う母親のお小言を何故私が聞き続けないといけないのか、私から義母に対する印象まで悪くなっていきました。

今の私であれば「本当に自分が今まで大切に育てた息子のことを、そんな風に言いたいわけではないですよね」聞き返してあげられたなと思います。

カウンセリングをさせていただく側の私から当時を振り返ると、私と夫の若さ故の未熟さを微笑ましく思いつつも

もっと上手に主人の義母に向き合うことが出来た部分もあったと思います。

心を癒やせば人は変わります、激的でドラゴンレディーだった私が劇的に変化したように。

37年前の結婚。Part1

私が初めて結婚式をあげたのが4月21日でした。

今から37年前、当時24歳だった私は5ヶ月ぐらいの交際期間を経てのスピード婚でした。

しかし、婚姻届けを結婚式後に出す予定のはずが、結婚式前に新郎が独断で提出したことで、新郎の母が激昂してしまい、結婚式は新郎の母だけドタキャンのまま決行。

結婚式は一生に一度、と誰もが結婚するときにはそう信じています。

自分が親の立場であれば、その一生に一度かもしれないところに「参加しない」という選択をしたのは相当な心境だったでしょう。

私は初めての結婚式で相手方の母親と険悪かつドタキャンのまま経験することになり、ドタキャンした母に「絶対にうちの敷居は跨がせない」「あなたを嫁としては認めない」と言われ、結果としては離婚に至った私の初めての結婚生活を今では懐かしく思います。

当時は姑の言葉に腹が立ったり、傷ついたり、未来がないように思えた私でしたが、今思い出すと吹き出してしまうような笑い話です♪

そのとき若かりし私はとても深刻で、きっとうつ的な症状にもなっていたでしょう。

こんなお話はきっと私だけではなく姑との関係があまり良くなかった人は誰もが経験したことでしょう。

動物は自分やわが子を守ろうとし、周囲に敵意を持ち威嚇し自衛します。しかし人間の場合は敵意ではなく悪意を持つのです。

悪意は直接的に人を傷つけようとはしません、なぜならば直接的に傷つけることは社会的にも道徳的にも問題があると認識しているからです。

故に言葉や心を通じて人を傷つけようとし、その傷は表面や肉体的には見えずとも深い傷跡を残します。

しかし、37年後の私には何もかもが懐かしく思える、笑い話です。

チャンスとピンチは表裏一体

兵庫県以外にも「まん延防止等重点措置」とされている地域が現在もあり
緊急事態宣言のときから引き続き飲食業は営業時間の制限がかかっている状況です。

息子の仕事後にミーティングをすることも多いのですが、3月末で緊急事態宣言が終わって営業時間が伸びたことで息子は晩ごはんの食いっぱぐれがないとホッとしていました。
18時から19時に終わる人は、19時半のラストオーダーに急がないと外でご飯を食べる場合は間に合わないのです。

また仕事が終わってから私のところに来てから帰る時にお店がどこも閉まっている・・・なんてこともザラでした。

そんなある日、私も晩ごはんを食べずに息子も晩ごはんを食べずに仕事を終えて、二人でおなかが空いたときお店が空いていないか二人で三宮まで出てみました。

お店はほとんど閉まっており、夜21時過ぎはテイクアウトすらやっていないお店が多々です。

そんな中、私が普段なら息子と一緒でも行かないであろうお店にデビューすることになりました。

息子が好きなラーメンを出すお店でしたが、ここしか空いておらずおなかも空いていたため入ってみると・・・?

まさかの中華そばが新メニューで出ていたようで息子は濃いとんこつラーメンを食べ、私は中華そばを食べてニッコリ♪

ある日には空腹の息子が晩ごはんに松屋を買いに行ったとき、私も試してみようと一緒にテイクアウト。

はじめての松屋デビュー♪ 

コロナの影響により、私たちの生活様式は変わっており現在も引き続き影響を受けているのは事実です、しかしそんな中でも仕事をさせて頂いて、息子とたまにご飯が食べることができて、普段いくことがないお店にいく発見と楽しさ。

心の中で大事なところがブレていなければ、どんな状況であってもラクな人生を送ることができます。

人間関係はセルフプロデュースが必要。

私たちが人間関係を作るのは、その人と交流しポジティブやメリットを生み出すことが目的です
その人が嫌いであれば学校や職場での役割やよほどの理由がない限り交流しようとは思わないでしょう。

その場限りまたは継続的な人間関係を構築から維持する中でマイナス要素となるのは次の内容です。

・絶対に他人の言葉を聞かない

・余計な一言

・不要な行動

馬が合わない、音楽性の不一致、生理的に受け付けない、色んな理由で他人を嫌ったり疎遠になったりしますが
概ね上記3つの行動は人間関係の継続を続けることはできないものにしていきます。

■絶対に他人の言葉を聞かない

意地っ張り・見栄っ張り・我が道を行く人をイメージをしてみてください
同じ話題が被ると最悪です、必ず考えや価値観を塗り潰してこようとします。

当然ながら同じ場所で何かがあって話をしても一方通行です。

会話のキャッチボールと一方通行は似ているようで少し違います、会話のキャッチボールは相手との関係を熟成させていきます
例え価値観や考えが違ったとしても、お互いを「知る」「考える」「言葉にする」ことで相手への気持ちと関係を深めていきます。

インプットとアウトプットが成立しているのであれば、それはキャッチボールですが相手の言葉をインプット出来ていない場合には関係が深まることはありません。(聞いてるがよく理解できていないケース)

■余計な一言

心理学的には我慢し続けている心の声が外に漏れています。

それを聞いてしまった相手にとっては、無意識であろうが有意識であろうが関係はありません。
自制をするか、付き合い方を変化させなければこれ以上の関係は難しくなります。

「オブラートに包んで伝える」といった表現方法もありますが、基本的に余計な一言を言ってしまうのは自分か相手への不満が積もっているからです。

■不要な行動

報連相が出来ない、関係者を振り回す、周囲への迷惑を考えない人です。

・カフェに入って勝手にメニューを決められたらどうでしょうか
・休日で一緒にどこかへ行くことになり予告なく当日に遠出することになったらどんな気持ちになるでしょうか。

当然こういった想定外の行動を続けると行動している側は何とも思わないかもしれませんが、付き合っている側は距離を置きはじめます。

アクティブでリーダーシップのある行動は素晴らしいことですが、ほんの少し相手への気遣いがあれば事前に意見を求めたり相談したりするでしょう。

行動する前に行うべきことがピンポイントでズレてしまっているために確認不足が生じているので、距離を置かれがちです。

どうでしょうか、上記を読んでいただいて自分または周囲に思い当たるところはありましたでしょうか。

人間関係を続けていくうえで、自分と相手の距離感と一緒に過ごす時間は大切なものです、このひとが苦手、または距離を取られていると感じたときこそ振り返ってみてください。

自分で無意識になっている行動を振り返ることは難しいです、そういったときこそカウンセリングで自分の感情を整理し無意識と向き合うのもひとつです♪

自己治癒

心と身体には密接な関係があります。

しっかり寝ているはずなのに、身体が重たいといった症状に心当たりはありませんでしょうか。

いつも通りの時間で休めているはずなのに、悩み事や考え事で安心して眠れなかったことはありませんでしょうか。

バランスが重要で、どちらかが欠けてしまうと心と身体は互いに補い合おうとします。

身体にも心にも自己防衛機能があり、しっかりと働いているからこそ意図しない倦怠感を感じたときはサインです。

そんな私も今週は息子から、セロリが安かったとのことでウーバーイーツして頂きました♪

持って来た時にはボロネーゼは保存出来るからとのことで、冷蔵庫の中身を見て別のパスタまで作ってくれました!

ボイカスオーラ(和風)だそうで冷蔵庫にあったきのこを20分も炒めてました。

自分のために20分台所に立てないときに、誰かが自分のために20分台所に立ってくれるだけで、どれだけエネルギーがもらえるでしょうか、他人のエネルギーは自己愛と心と身体の回復にとってもよく効く促進剤です。

月と人のメンタル

満月は様々なお話で例えられます。

それは狼のお話であったり、愛を囁く日であったり、統計では交通事故の多い日だったり。

必ずしも満月に何かが起こるわけではありません、また科学的や統計学的に人間の心理状態に影響を及ぼすと広く立証されているわけでもありません。

しかし私たちは古来から月に対して神秘的(スピリチュアル)なものを感じています。

干潮・満潮といった自然的な現象もそうですが、私たちが天体で一番触れることが多いのが月と太陽です。

太陽は雲がない限り浴びることができますが、満月は太陽に比べて稀有なシーンが多くあると思います。

2月Blog記事 ー 自己愛と心の余裕 でもご紹介させていただきましたが、ふと空を見上げて気づくこと、周りの景色や風景を見る余裕にも繋がります。

悪い事が多く起こるように噂される満月ですが、もしそうなのであれば毎日ほんの少し空を見上げる余裕があればそのようなことにはならないかもしれません。 

無意識のボディランゲージ

日本人は心理状態をなかなか他人に話せない環境を作りがちです。

会社や学校が休めない、疲れたしんどいは甘え、他人以上にがんばることを美徳のようにサービス残業という言葉が常態化しているのが日本ではないでしょうか?

メンタルヘルス後進国と呼ばれる理由でもあり、世界から見ると面積が小さい国でもある日本がなぜ先進国と呼ばれているかは、上記のようにひとりひとりが異常なほどに努力をする一面を持っているからだとも言えると思います。

しかし、自殺者の数は先進国ではランキング入りし、自殺者の数は減るどころか増える一方です。またメンタルヘルスの分野においては言葉が日常的に浸透しても実際に追い込まれる人がなぜこんなにも増えるのでしょうか。

日本人は結果と成果に追われ、周囲ががんばっているから自分もがんばらなければならないと自分を追い込み続け、自分のメンタルと体調の管理をおざなりにしがちになります。

NOと言えないのが日本人。そんな言葉すら出るほどに勤勉で真面目な国民性です。

自分自身が悲鳴を上げたくでもあげれない、そんな自分の調子を代弁するかのようにボディランゲージは無意識化でサインを送っています。

心配な時 → ほほを両手で覆う
     → 手で胸を押さえる
     → 頭を抱える、かく

こんな仕草・行動・態度はその人のメンタルを表している無意識のサインです。

痛い・苦しい時 → 胸や身体のどこかに手を当てる

寂しい時 → 両手で何かを抱きしめる

悲しい時 → 顔を覆う

絶望感 → 両手を床につく、倒れ込む

誰もが心当たりのある仕草ではないでしょうか、その時の自分の調子はどうだったでしょうか。必ずしも全員同じ仕草をするわけではありませんが、無意識の動作とメンタルバランスは密接にリンクしています。

自分の仕草を思い出して、他人の仕草をみてみると意外な一面に気づくかもしれませんね。
    

2年前と今。

ついに緊急事態宣言が解除されました、まだ県など地域独自の警戒体制による予断は許さない状況とはいえど、また一区切りはついたのかもしれません。

しかし東北ではまた大きい地震、関東では大雨など自然災害も立て続けに起こっていますので、コロナウィルスも緊急事態宣言が解除されたからといって、まだまだ安心出来る状況ではないのだと日々のニュースからも感じています。

自宅へ戻る道すがら、桜が咲いているのを目にしました。平時であれば桜の満開予報や、お花見など、ほんの2年前はもっと違うニュースが立ち並んでいたのを思い出します。

明けない夜はありません、必ず朝は来ます。

(祈り)

マスクの大人買い

DARCニュースを続けてお送りさせて頂いておりましたが、DARC Suppotersからの提案で

マスク100セットお預かりしています♪

鳥取・岡山・九州DARCの皆様に少しでもお役立ていただくことに繋がればと思います。

私の周りでは、DARCの活動をお気にかけ下さる方々から献品や寄付にご協力下さる方々へ代表の千坂氏より多大な感謝を頂いております。

もし、身の回り、自宅でご不要なものなどございましたらお声がけ頂ければ幸いです。

鳥取DARC日本海新聞掲載 Vol.3

鳥取DARC日本海新聞掲載 Vol.2  でご紹介させていただいた、ヒロくんと同時期に鳥取DARCでお会いしています。

お会いしたときはユウスケが二十歳ぐらいでした。

声をかけるとユウスケが話し出すまでに数秒間の待機時間が必要だったのが印象的でした(笑)

彼に何かを頼んだり、伝えたりしたことは何一つその通りにならない、もしくは忘れられている。これはDARCの中で彼だけに限ったことではありませんが、彼もそんなひとりでした。

薬物依存症者でDARCに入られた方だけに限りませんが、笑いが必要または笑えるようなシーンでも感情を表現できない、表情に変化が見られにくいのも特徴の一つです。

去年のワークショップで過去のユウスケは、喋らない、表現しない、ようなそんなシーンを演じてのにピッタリだとユウスケにお願いをしました。

そしてユウスケは私の頼んだことはまたどこかに消えてしまったのか。

自分のアドリブだけでワークショップ参加者全員を大笑いの渦へと何度も巻き込んでいくようなキャラになっていました。

DARCのプログラムと本人の回復への意欲は自分の生き辛い環境を変化させて、社会復帰への道を果たしました。

鳥取DARC日本海新聞掲載 Vol.1 でご紹介させて頂いたドクちゃんの素敵な笑顔も見つけました♪

着実なステップを歩み回復を果たすには時間とやる気がとても重要になってきます、しかしやり遂げられたエネルギーはとても素晴らしい彼らの笑顔になりました♪