能登半島地震、ボランティアの数少なく 自粛や「SNSでたたかれる」萎縮する人も 1カ月で2739人、阪神・淡路は62万人 ー 神戸新聞
阪神淡路大震災では、私は被災者でもありながらも一家でボランティアスタッフとして活動していました。
避難所、救援物資荷受け所に当時庭付き3階建てだった自宅が荷物の集配所にもなっていました。
当時はSNSが無い時代です、今よりもガイドラインもなく、現場判断が重要視される時代だったと思います。(※その分現場の雰囲気や関係性が重要にはなってきます)
息子の通っていた学校が避難所になり、私の自宅が救援物資の集配所に指定されるぐらいリーダーシップを取る事も多かったので、何度もボランティアを希望する人を募って炊き出しや、催し事を行い避難所生活が続いていた方々と過ごしました。
震災当時、私が住んでいたのは神戸市中央区の北野ですが、幸いな事に近隣で火事などもなく電気も当日に通ったのは本当に僥倖だったと思います。
ガス・水道は復旧まで時間がかかりましたが、真冬に水が出ないので水を汲みに行く経験は今後の人生では二度と起こらない事を心から祈っております、
それ程までに現場では不自由を強いられる中、能登半島地震では神戸よりもアクセスが難しい地域でもある事から、私たちの時以上に現地は大変な事になっていると思います。
家が倒壊する動画などがWEB上に公開されているのを見ました。幸いな事に自宅は緑紙でした。震災による被害を受けた地域では「被災建築物応急危険度判定」に基づいて緑紙、黄紙、赤紙が貼られます。
黄紙、赤紙の方は退去または家を探す事になります、保険等や就業不可など様々なケースから復興住宅からも追い出される事になってしまったケースなど、特に阪神淡路大震災のケースでも、今だに係争がある事から、東日本大震災後に復興住宅のような制度を利用された事で、強制退去または高額な支払いを要求され問題となっているWEB上の記事も見ました。
災害による被害は誰もが予期せぬもので、復興と未来も想像出来ません。1日でも早く穏やかな生活が訪れるように祈っております。