我慢と待つ。認識の違い。

子供時代に我慢すればいい子になれる。

そんな「我慢」という言葉のフレーズに思い当たることはありませんでしょうか。

あながち言葉のまま受け取ると間違いとは言いづらいですが、我慢は言い換えれば犠牲です。

我慢出来なくなったとき、自分の犠牲が爆発したときには・・・「ブチギレハイウェイ」(よしみ命名♪)です。

我慢ではなく「待つ」・「見守る」という認識に変化させると「やってみよう」と自分からその考えに頭と心を向けることが出来ます。

また、我慢することが出来なかったと爆発することもなく、「待つ」という意思においては「やっぱり待てなかった」とUターンすることも容易くなります。

言葉と、言葉の認識を変化させるだけで”心理的ハードル”を低くすることが出来るのです。

「我慢する」というのは、今も社会で多く使われる言葉ですが、行動は一緒で「待つ」ということです。

Uターンしたときに「我慢」が発端であれば「我慢できなかった」という言葉になりますが「待つ」という言葉であれば「待てなかった」と柔らかくなります。

言葉の認識において“心理的ハードル”を自分で高く設定するのか、いつでも考えを変えれるように状況に応じて変化させられるような設定にしておくのか。

携帯電話もなく、人と約束して来なければひたすら待つことが必要だった、昭和の時代ではなく、今は柔軟な対応を求められることが多くあります。

時代の変化に応じて、私たちの心も変化させていけばもっと楽な人生を過ごすことができます♪

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