共感(きょうかん)、エンパシー(empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。通常は、人間に本能的に備わっているものである。しかし、例えば反社会性パーソナリティ障害やサイコパスの人物では、“共感の欠如”が、見られる[1]。近藤章久は深い共感と直観を精神治療の根幹とした。
共感性がたとえば友情を生み出す。友人になったきっかけは、「何となく」であることが多いが、「何となく」の本性は、共感性である。共感しない立場をとると、子猫を憎むことを主張しているかのように受け取られ、不興を買う[2]。
動物においても類似の例はあり、たとえばコンラート・ローレンツはガンが湖に群れで舞い降り、また新たな餌場に移動する際に、鳴き声を互いに聞くことで気分を共有するのだと論じている。
私たち日本人は雰囲気や空気などを重んじるように育っていると思います。
「長いものには巻かれろ」 を重んじるわけではありませんが、そういった行動を主軸とする傾向が強くあります。
決して多数派は悪いことではありません「NOと言わなければいけない場面でNOが言えるか」それが私たち一人ひとりの中で確立されていれば良いのです。
共感は様々な場面で人間関係の構築においても育まれていきますが、生まれ持った共感性もあります。

この愛くるしい2匹は息子の家にいる保護された兄弟猫です。

行動で共感性を示しています。

この保護猫兄弟も前足を同じ方向に向けて座っている仕草です。

猫はとくに兄弟だと、こういった仕草や行動が兄弟一緒のように振る舞います、すなわち共感性とは過ごす環境で育まれることを猫は体現しています。
私たちは生まれるとき一人ではなく、必ず親から生まれてきます。
子供は親のコピーです、そして成長していく中で誰をコピーしていくかによって私たちの人格・常識・共感性は育っていきます。
子供の問題に親は悩みますが、心理学の現場では「子供は親が自分の問題を隠してきたところを無意識でコピーします」子供に湧き上がってきた問題としていつか自分が親の立場で向き合うことになります。
兄弟は共感し合いますが、親と子も共感し合う関係です♪