Dragon Ladyに捧ぐ を読んだ息子視点からとなります。
今はカウンセラーの母ですが、昔はとても瞬間湯沸かし器な人でした。
「口が出る、手が出る、どのタイミングで怒るかわからない」
この文章だけでは虐待のように思えますが、僕自身に対する愛情と呼べる行為が他の家庭よりも深かったことも事実です。
お願いや要望を言うとほとんど実現させてくれましたし、テストの点数や成績などで怒ることなど皆無でした。
(自分自身の学校での成績と比較していたのかもしれませんが 笑)学業こそが全てとは思わないこともあり、それ以外の礼儀作法や言葉遣いや態度など別の方面に厳しさはあったと思います。
ですが、約束ごとを守れなかったとき、心穏やかでないときに何か琴線に触れてしまったとき、僕の立っているところはグラウンド・ゼロでした。
当時8歳にして16歳になれば働けると知ったとき、何度中学を卒業したら家を出ようと子供ながらに思ったことを今でも覚えています。笑
今思い返しても“母が望んで手を出したわけではない”と理解しています、躾に厳しかった母ですが他の家庭と照らし合わせて逸脱しているほどではなかったと思います。
逆に2人目の父は底抜けなほど優しく笑顔の人でした。どんな些細なことにも反応し、褒め上手でした。
僕の家庭環境で女性は大体Dragon Ladyで祖父、父は菩薩のように優しかったのを今でも思い出します。
(※そんな二人を怒らせたことが1度だけありますが、僕の態度が非常に良くなかったことが原因でした。)
大人になった今だからこそ過去を思い出すと親であれど一人の人間です、子育ての経験の中で親も親としての経験を積んでいく中で間違いだってあるでしょう。
(※当時はネットなどの情報もないため、間違っているかどうかは結果でしか見られなかったと思いますが)
母が心の傷を癒やさない道を選んでいたとしたら、私はこの文章を書くことすらなかったでしょう…笑
カウンセリングを知って生きる人とそうでない人には大きな違いがあります、カウンセリングは自分自身に向き合おうとする勇気のある人です。
僕自身ですら自分に向き合えば思い出すことに痛みを伴うようなことは山ほどあります、そしてそれは僕だけに限らず誰もが持っている傷があるはずです。
自分のキズや痛みと向き合うことはキズや痛みを知ることになります、そうしてまで自分を変化させようとすることはとても大変で辛いことです。
親と子は唯一無二の存在です、切ろうとしても切り離せません、だからこそ向き合うことが重要であり、そのツールとしてカウンセリングは非常に有効だと思います。
子供の気持ちを知りたいと願う親には先に自分を知ることが重要です。人間は他人の気持ちを100%理解することは出来ませんが、自分を振り返ることはできます。
問題の解決を望んだとき“答え”はいつも自分の中にあるはずです。